
アマチュア 〜人生×映画〜
東京造形大学映画専攻2008年度卒業研究作品展
2008年度、東京造形大学映画専攻による卒業研究作品を9作品上映
2009年 10月29日、30日、31日
会場:アテネ・フランセ文化センター
「私達はどのように生きればいいのか?」
ということを映画を用いて、模索する試み。
アマチュアという言葉は一つの態度であり、
映画を映画だけで完結させないための決意なのだ。
スケジュール
10月29日(木)
14;10〜15;50『あるいは、彼女たちの速度』93分 監督:岡野萌子
16:20〜17:15『妄想科学探偵奇譚 童貞探偵 メガユニバース編!!!!!!』55分 監督:高橋充
製作:奈良大祐
17:50〜19:16『未明』86分 監督:野中裕樹
19:30〜20:30 トークイベント:中川邦彦さん
10月30日(金)
14:40〜15:30『hello baby』50分 監督:鈴木聡士
16:00〜17:00『世界のラポール』60分 監督:日下部隆太
17:30〜19:16『君とママとカウボーイ』106分 監督: 稲葉雄介
19:30〜20:30 トークイベント:ゲスト・諏訪敦彦さん×高橋直治さん
10月31日(土)
13:00〜14:25『私達は何の途中?』監督:85分 五十嵐耕平
14:50〜17:00『バースデイ』監督:130分 豊田知香
17:30〜18:42『MOTHER GIRL AND SON』監督:72分 片寄弥生
19:00〜19:45 トークイベント:中川邦彦さん
※詳細はお問い合わせください
チケット:一回券800円/三回券1500円
※半券提示で予定している3日間全てのトークイベントに参加できます
主催・お問い合わせ 東京造形大学映画専攻 080-5126-6237
- アマチュア -
僕たちはおそらく『アマチュア』なのだ。
人は誰しも、様々な個人の問題を抱えながら日々を送っている。
そして僕たちは、その人生と、生活と対峙するために映画を用いてきた。
ある人は、現実では出会う勇気のない人物に、フィクションによって、
再会、対決をしようと試みる。ある人は、トラウマを劇中で描き、
現実を克服しようとしたり、
孤独な人間関係から、新しい家庭を創造しようとする人もいる。
これらの映画は、個々の抱える問題と同様に多様な形をしている。
しかし全てに共通するのは、これらの試みが単に
”映画のため”に為されたのではないということだ。
映画を作るとき、観せるときに起こってしまうかもしれない暴 力や、摩擦、困惑がある。
例えば撮影で出演者やスタッフから『辛すぎる、そんな事はできない』と言わたとき、
議論し、互いに理解しようと最大限の努力をする。だがそれでもできないと告げられた時、
僕たちは自分のイメージをそれ以上誰かに強制することは出来ない。
なぜならそれは映画以前に、僕たち自身の生き方に関わる問題だからだ。
目の前にいる人との関係性を損なってまで、
映画を完成させようという気持ちには、とてもなれない。
これらの態度は、未成熟なものとして切り捨てられてしまうかもしれない。
「結局彼らはアマチュアなのだから」と。
しかし僕たちは映画によって、生きることを思考し、再生しようとしている。
どうしても「映画」と「生きること」を切り離せない。
映画は人生を繋ぎ止めようとするものなのだ。
どちらも手放したくはない。
今僕たちは、映画を用いて、「私達はどのように生きればいいのか?」
ということを模索し始めている。
僕たちにとって『アマチュア』という言葉は、一つの態度であり、
映画を映画 だけで完結させないための決意なのだ。
そして誰かがこれらの映画の前に立ち止まってくれると、信じている。
- 映画は我らのもの -
映画を作ろうと思い立った時、誰もが「それは自己満足である」と非難される
ことを恐れ、映画に何かを付け加えようとする。どこかで見たようなテクニック、
人を欺く予想外の展開、非日常的な悪意や暴力、奇抜なアイディアや映画的な
趣味を駆使し、飾り立て、映画を撮ろうと思い立った自分の貧しさを覆い隠そう
とする。しかし、そのようにして作られるたくさんの映画は、誰のために何を
しようとしているのだろう?
ここに集められた映画は、徹底的に貧しさに留まろうとする。日常の些細な感情
のささくれ、目的も動機も定まらない行動を支える微弱な感情、ことさら暴力に
訴える必要の無い無自覚な孤独や世界との断絶。そんな身の回りのちっぽけなもの
さえあれば映画は可能なのだ、と宣言するかのように。
「映画を作るとは、自分のやり方で自分の人生を救うことなんだ」という
ゴダールの言葉が、彼らの作品の底に響いている。だから、人生を共に生きる仲間や、
家族と映画を作る必要がある。監督の仕事、カメラマンの仕事、俳優の仕事などと
役割で分業されたプロフェッショナルなシステムが必要なわけではない。必要なのは、
「私」と「あなた」で映画を作ること。映画をつくることで「私」と「あなた」の
関係を、「世界」へと折り返し、生きることをリサーチすること。その必要性に
おいて映画が作られる時、映画は自己の世界を超えて豊かで,強靭なイメージを獲得
するだろう。彼らの映像が、決してナイーブで独りよがりなものではなく、
クリスタルのような強さをたたえる一瞬があるのはそのためである。
映画はか弱きものの側にある。映画は我らのものである。
諏訪敦彦
東京造形大学在学中にインディペンデント映画の制作にかかわる。
卒業後、助監督やテレビドキュメンタリーの演出を経て、
96年に長編劇映画「2/デュオ」を監督。
99年「M/OTHER」(カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞)。
01年「H/Story」(カンヌ国際映画祭正式招待)。
05年「不完全なふたり」(ロカルノ国際映画祭審査員特別賞、国際芸術映画評論連盟賞受賞)を発表。
09年「ユキとニナ」をカンヌ国際映画祭監督週間にて発表。
- わたしはアマチュア -
いつからかこう自己を規定することをはばかるようになったのだろう。
初めから作り手であった者は居ない。映画で新しい世界を見た。
映画で考え、映画を愛した。アマチュアだった。
この言葉の語源は愛!
悪い意味の出所は専門家になる教育を受けていないというところにある。
だが専門家になる教育とは?あるいはひとつのことに専念していない
というところにある。だが、ほかのことをしないということは?
専門に従事することによって知識や技術が発展したことは疑いない。
だがそれを支えたものは?
今回集まった映画の作り手たちは映画の専門に従事することの難しさを自覚している。
制作と配給と興行を独占した映画産業の時代が日本で終わって40年が既に経っている。
この独占体制に属して制作することはない。しかもこの職業の不安定は映画に
限ったことではなくなっている。
一般的に言って生産に関わって生きて行くことが難しい。
しかしイデオロギーは相変わらず昔のままだ:「優れたものが生き残る」、
「良いものが選ばれる」。巨大化したシステムのみが利潤を生み出す。
だがそれに浴するものは?生態系が巨大化することはリスクが高まる。
そのひとつのエレメントが欠けたときなり行かなくなる。
弱者の特性は敏感であること。船が沈む前に別の地平を目指す。
小さな組織では何役もこなさなければならない。
そこには作り手と受け手の職業的区分はない。映画に限らず、文化は生きる技術。
見たい映画を自ら作る。
そこではみなが相手の問題を引き受け、力を合わせることが大切なのだ。
中川邦彦
1943年新潟県。青山学院大学フランス文学科卒。フランス政府給費映画記号学研修。
海外研修(パリ社会科学言語学高等研究所)。
著書:『芸術記号論』(共著、勁草書房)
『narratologie formelle du film』(ぎょうせい:物語を映画で述べることの形相研究)
『難解物語映画』(高文堂出版社)ロブ=グリエの短編小説を映画で読むなどの映像作品(89年ポンピドーセンター上映)。
最近は映像を用いて持続可能な社会の成り立ちをリーサーチし報告することによって金融資本主義社会を克服することを志向している。
- 頼りないたたずまい -
16年間「サラリーマン演出家」をやってきて、澱のように溜まった疲労が
いくつかの悶着を起こし、もう映像制作やら、マスメディアやら、映画やらとは
二度と関わりたくないし、金を得るための「労働」もしたくない、なにより、
下げたくない人に頭を下げることは金輪際したくない、そのために金が尽きて
生活が破綻してもいいと思った。泥沼な修羅場の果てに彼女と別れ、
実家とは縁を切っていたから、自分にはもう守るべきものは何もないのだから、
それでいいと思っていた。
そんな時、ある偶然から、彼らの映画に出会った。それまで、学生は嫌いだった。
無知で傲慢だからだ。特に美大生で「わたし作家です」っていう奴が嫌いだった。
したり顔で自信に満ちたその物腰に反吐が出た。だが、彼らは、全然違っていた。
彼らは、徹底的に弱々しく、頼りなく、ただそこに立って、静かに「映画」を作っていた。
自分たちに解ることと解らないことを厳しく選り分けながらも、慎み深くかつ大胆に、
解っているつもりになっている自分を疑い、解らないことを解らないままに素手で
踏み出していこうとしていた。彼らの頼りなさは、何ものにも依りかからないで立っている、
その佇まいであった。
何ものにも依りかからないということはとっても難しい。そこではすぐに凍りつく程の孤独
と捩れる程の不安に取り囲まれる。それなのに、彼らは、知識権力やアカデミズムにも、
功名心や上昇志向にも、社会正義や美的趣味、自己満足にさえ依りかからず、
ただ、他者と共に、此所に居ようとしていた。今、此所の、なけなしの生活を、低い姿勢で、
静謐に見つめようとしていた。シネフィルともコンテンツとも運動とも自己表現とも無縁に、
自分たちの肉体のみを世界に晒して、見続け、感じ続け、考え続けようとしていた。
頼りなさは、強靭さと持続をもたらしていたのだ。
彼らの映画に、僕は、断じて「映画の希望」なんかではなく(映画など犬に喰われればいい)、
ただ、「生きていくことの希望」を感じた。
そして、もう一度、自分も真摯に「映画」と関わりたいと思った。
いや、自分が関わることのできる「映画」を教わった。震えながら、口ごもりながらも、
なんとか他者と共に生きていくことを静かに実践する、そんな在り方を、
僕は彼らから教えてもらったのだ。そう、思った。
一年程前、大学からの帰り道、偶然、五十嵐くんと一緒になり、
中央線のシートに隣り合って坐った。話題に困って、
つい、「大学卒業後はどうするの?」と尋ねた。
苦笑いしながらも静かに「バイトを続けて、映画を作ります」
と言う寡黙な彼の隣で、僕は自分の軽口を恥じた。
(いつもはそんな質問をする大人を罵倒するはずの自分が同じようなことをしてしまった。)
そして、不意に感じたのだった。
いったいそのとき僕は何処に帰ろうとしているのか全くわからなかったし、
今もわからないが、夜の車窓に映る自分たちを見ながら、思った。
「これでよかったんだ。42歳、独身、非正規労働者の今の自分は、
五十嵐くんの隣に坐って、一緒に電車に揺られている。これはぜんぜん間違ってない」と。
高橋直治
1967年東京都生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。卒論は「公共性とコミュニュケーション的行為」
大学在学中から個人映画と現代詩を作り始める。
1991-1999 NHK番組制作部ドラマ部に所属しドラマ番組の演出を担当。
1999-2006 日本テレビ放送網(株)編成局制作部ドラマ班に所属しドラマ番組の演出、プロデューサーを担当。
2005東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻に入学、2006除籍。
2007武蔵野美術大学映像学科にて「デジタルドラマ」講師を担当。
Cinema Digital Seoul Film Festival 2007に『WASTED STORY』を出品
作者コメント
『あるいは、彼女たちの速度』岡野萌子
12年間女子校に通ったひとりの女がカメラを取った。
『妄想科学探偵奇譚 童貞探偵 メガユニバース編!!!!!!』奈良大祐
兄が失踪した!大宇宙研究会に所属する高石神社は『未明』野中裕樹
兄がおこした事件によって離散した家族の物語。
『hello baby』 鈴木聡士
これは映画になる前の最も純粋な衝動による映、画。
『世界のラポール』日下部隆太

「世界と私をつなぐ柔らかなつながり」
新宿から電車で一時間。マクドナルドも、ユニクロ
もシネコンの映画館もあるから生活するのに特に不便
は感じないけれど、だからとって華やかな歓楽街が
あるわけではない。車で30分も走れば、ダムのある山や、
人がほとんどいない河原に行くことも出来るけれど、
普段は滅多に行かない。いたって平和で、特に大きな事件
の話題も聞かないけれど、つい最近無差別通り魔事件が
起き何人かの通行人が殺された。
これが僕の暮らす街ですが、どこか他人事のように思えて、
親近感を持つことが出来ません。
世界の優しさと自分を結びつける柔らかな絆。
世界の暴力と自分を結びつける柔らかな絆。
僕はそれを取り戻さなければなりません。
そしてそこに、もう一度含まれなければなりません。
『君とママとカウボーイ』稲葉雄介

横浜。雨木ジョージは中央卸売市場で輸入果物を出荷する
仕事をしながら一人で暮らしている。周りの女たちとの
ゆるゆるな関係を保ちつつの、代わり映えがしない毎日だ。
そんな揺るぎない彼の生活を脅かすものとは?、、、
この映画は一切の心理描写や展開を排し、
ひたすら登場人物の行動のみで綴られている。
"現在、存在していること"とは何かを問う
静的アクション映画だ。
『バースデイ』 豊田知香

主人公・祥子とともかは、近所に住む幼なじみで
あったが、ともかは中学生の時にいじめられていた。
ともかと祥子との縁は疎遠になっていたが、祥子が
大学四年生の時、ふとしたきっかけで除々に復縁
していく。祥子が、ともかの結婚式で見た光景は、
自分がが今立っている現状とは程遠いものだった。
祥子、妹の里美、幼なじみのともか、恋人の結城、
ともかの夫の卓也、祥子の母親、結城の母親…。
それぞれが問題を抱え、関係が交差していく。
生きて行く中で、悲しい時、つらい時、嬉しい時、
幸せと感じる時。私たちがそれらを通じて、
選択する道の行く末がたとえ自分の想像する
未来とは違っても、それはとても尊いものだと、
私は信じています。家族、友人、恋人、、、
たくさんの人たちが自分自身を信じて、
笑って過ごせますように。
『私達は何の途中?』五十嵐耕平

天野の彼は突然姿を消してしまった。天野は、
彼は死んだか台湾にいるかもしれないという
思いを抱えたまま、台湾へと出発する。
そしてホテルに到着するが、何かの手違いで、
彼女はだだっ広いツインベットの部屋に通されてしまう。
この作品は台湾の地を舞台に、突然姿を消してしまった
恋人を追いかるわけでも探すわけでもなく、
曖昧な時間に、あるいは現実的な空間に、
追い込まれていく女を描いている。
満たされない空間と、見知らぬ世界の狭間で
体はいかに存在するのだろうか?彼女は中間に位置し、
行き場を失い「途中」で居続ける。
『MOTHER GIRL AND SON』片寄弥生

住民票を見て15年前に別れたきりの母親
の住所を知った姉弟。その場所は姉の
住む家から、ほんの目と鼻の先の場所だった。
弟は会いに行こうと提案し、姉は拒否する。
この映画はある側面において私の体験であり、
記憶であり、造らなくてはならなかった
小さな物語です。それを誰かが、ふと目を
止めて観てくれたらとても嬉しく思います。
近くて遠い、家族についてのロードムービーです。
この映画に関わってくれた全ての人に感謝します。
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